「避難所暮らし」をもっと理解しよう
宮城・岩手の避難所を回って感じたこと
みなさんは「避難所暮らし」ってどんな毎日か想像つきますか?
阪神淡路大震災でも、たくさんの人が避難所暮らしをしていたので、わかる人もいらっしゃるかと思います。
今週、私たちのチームが宮城と岩手の避難所に行き、感じたこと。それはあの16年前の阪神大震災の避難所のストレス、つらさが、そのまま目の前に再び起こっていた風景でした。胸が痛くなるような風景でした。
でも、誤解のないように言っておくと、避難所のみなさんは強く、明るく、とにかく日々を過ごしておられます。泣き言を言ったり、つらいとか苦しいとか、そんなことをみなさんが、私達に言うわけではありません。
だからこそ、私達はもっと、被災地の人の「心」に寄り添う気持ちが必要です。被災地の人たちが「大丈夫」「元気」と言うからといって、私たちが「そうなのか」と無関心になっては絶対にいけないのです。「つらい」「苦しい」と言わないのは、集団生活をする避難所の方々の最大限のやさしさであり、気配りなのです。
私は、阪神大震災の時から、避難所のストレスにはいろんなものがあると感じてきました。そのストレスを私たちがきちんと感じ、そして何をすべきか考える必要があります。「物」を送るだけでなく、「きちんと話を聴くこと」「スタッフの人の手間を増やさないこと」そして何よりも、避難所で過ごすことのストレスをしっかりと私たちが感じていくことです。
■避難所で暮らすストレスをできる限り理解しよう
1)避難所は小学校、中学校、高校などの体育館や教室です。
床ばりにベッドもなく、布団をひくだけのわずかなスペースが「自分の家」まず、その空間をしっかりとイメージして下さい。その場所で1日、1週間、1ヶ月過ごし続けるストレスを、避難所で暮らした経験のない人たちでも、想像することで、そこにいる方々のストレスが少しでも理解できるはずです。
※避難所を訪れたとき、そこはすでに、住んでいる方々の家と同じ。むやみにのぞきこんだり、じっと見るのは失礼にあたります。
2)24時間プライバシーもなく、しかも大勢の方々と集団生活
寝る時間、起きる時間も、自分の家で自由に過ごすわけにはいきません。好きなテレビを自由に見たり、夜中に電話でおしゃべりしたり、そんな自由もないのです。数日なら何とか我慢できても、すでに1ヶ月。あとどのくらい待てばいいかわからない中、フラストレーションは限界に近づきつつあります。
※今、必要としている「物資」は、 ”食べる”だけのものではなく、生きる物資が必要です。バランスのとれた食事、スリッパ、肌着、タオルケット、など。
3)生活支援は、長引く、先の見えない生活に絶対必要なもの
「いつ、家が持てるのか?」「今後どうなるのか?」先の見えない不安に、苦しさが増します。「最初はすぐに帰れると思った。 でも、津波で家も何もないし、今はもう、いつ帰れるかなんて、全くわからない。これからどうしたらいいか。本当に不安で不安で、毎日眠れないんです」
私達にとって「家」は、単なる住む場所としてではなく、一生をかけて手に入れるもの。家族みんなの憩いの場所の象徴ですよね。それを失ったストレスを、ともに感じる必要があります。
※人間はパンだけで生きているのではなく、心の支えが必要です。不安を超えて、必ず、安定した新しい生活が導けるよう、生活支援をしっかりとした形で行ないましょう。「スポーツなどのレクリエーション・アートなどの創造性のあるもの・話し相手ボランティア」などの生活支援は、心の元気を取り戻すのに必要です。
まずは、現地の避難所で迷惑にならない、役立つボランティアになることです。「迷惑なボランティア」にならないように、常に意識して行動していく必要があるのです。